2月 2012
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2月 18
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2月 18
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2月 18
公正さ−何かをフェアだと感じる感覚には平等とか対等といった理念的な概念では説明できない生来的なものがあるのだと思う。 既得権を奪われる事に人が頑強に抵抗するのも、利得を越えて生来的に感じる公正さに反しているという感覚のためではないか。
2月 18
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2月 17
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2月 16
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2月 16
急逝したホイットニー・ヒューストンのアルバムを聞いていて思い出したのですが、1980年代後半は黒人の音楽に「黒さ」を要求する政治的な声が強くなり 始めた時期で、既にポジションを固めていたプリンスやマイケル・ジャクソンですら「黒さ」をめぐって迷走したほどでした。 この時期にデビューしたホイットニー・ヒューストンも、ファーストアルバムではゴスペル色の強い歌唱法を用いていたにも係わらず、セカンド以降では「白い」歌い方をするようになったことに当時非難の声があったことを記憶しています。 1980年代のセカンド、サードアルバムの頃までのホイットニー・ヒューストンのライブ音源を聞くとまだ意外なほど「黒い」歌を聞かせていて、彼女の歌唱法に対する抑圧はレコーディングのプロダクションによるものだったことが窺えます。 ...
2月 12
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2月 11
横浜美術館で松井冬子展を見てきました。日本画の伝統を踏まえながら極めて個人的な感情や強迫観念を形象化する構想力は面白いと思います。しかし、習作として描かれた小牛や人体の解剖の写生の素晴らしさとそれらを下絵に使った作品を比較して見ると、日本画のフォーマットや分析的な読解を誘う画面の設計が彼女の描きたいものを抑圧しているようにも感じました。
2月 11
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2月 11
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2月 11
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2月 11
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2月 11
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現実が見えたとおりのものであるとするならば、人の行動は現在のみを参照して評価されることになります。そのような形で日常の感覚と行動との因果が現在の一点において結びつくと、人は知覚の制約によって構成された世界に閉ざされてしまう。超越的な視点を奪われた人は、現実と思っていたものが仮構であっても、現実の裏切りによってしかそれを認識することができないでしょう。 世界の複雑さと向かい合うものは、実践のなかでも現実との距離を維持しなければならない。
2月 3
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1月26日に六本木のSuperDeluxeでジム・オルーク(Jim O’Rourke)とオーレン・アンバーチ(Oren Ambarchi)の演奏を聴いて来ました。面白かったです。 オルークのラップトップとアンバーチのギターが生み出す微細な音のざわめきは海底に棲息する巨大な生物の気配を漂わせる。静寂のなかで聞き続けている自らの体内の音。海水が鰓を流れる。巨大な身体の周囲に纏わりつく小さな生物たち。ギターのフレーズをきっかけに身体をうねらせて重い海水のなかを移動すると激しくなる拍動、周囲との干渉。そしてまた落ち着きを取り戻す。そこに意識はなくただ感覚の集積だけがある。...
2月 2
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2月 1
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2月 1
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2月 1
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R.I.P. Mike Kelley
2月 1
1月 2012
17件の投稿
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1月 29
多くの人に共通する何かとしての普遍性ではなくて、中心が空虚だからこそ多くの人が共有できる枠組みとして普遍性というものもある。 やどかりにとっての貝殻みたいなものか。
1月 27
勘のいい友人によるとディスコ・ミュージックは自分を消してくれる音楽なのだそう。4つ打ちのリズムを継承したハウスにも共通した匿名性と多幸感は確かに切り離せないものだという気がする。 ポップ・ミュージックにはベテランが新機軸を求めてディスコに手を出しては失速するというパターンがあるけど、個性で売るポップ・ミュージックのミュージシャンにとって匿名性の高いディスコは鬼門なのかも知れない。 ディスコ・ミュージックやハウスの持つ匿名性や多幸感は、この「自分を消してくれる」音楽がアメリカの人種、性的なマイノリティのコミュニティから生まれて支持を広げていったという歴史とも切り離せない気がする。
1月 22
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1月 20
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1月 20
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1月 20
『ラスト・エンペラー』の側室の文繍が出奔するシーンで坂本龍一の『レイン』が使われているのだけど、このシーンだけは坂本の音楽に映画が引っ張られてしまっている気がする。
1月 14
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1月 14
ベルナルド・ベルトルッチの『ラスト・エンペラー』を観ました。これは「紫禁城」が主役の映画ですね。紫禁城の優雅さと残酷さ。 紫禁城を舞台とした前半部の圧倒的な美しさはそれだけでも見る価値がありますが、紫禁城での詩的で優雅な演出と追放された後の硬質で散文的な演出の対比は、溥儀が満州国に向かう動機が紫禁城の幻影にあること、そして紫禁城の残酷さだけはその後の溥儀の人生に満ちていることを示唆しているようです。 そう考えると満州の青空の下で行った告天式のシーンは、紫禁城への囚われが露呈する重要なシーンです。 溥儀が外を歩くシーンは、共和国の収容所で思想教育を受けて「模範的な」共産党員として解放される晩年まで出て来ません。そして、それは文化大革命期の北京だったりする。...
1月 14
キラキラネームって凄いことになってるんですね。90年代後半から増え始めた気がするけど、何か底が抜けたような、ポストモダンという印象がある。
1月 8
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1月 6
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1月 6
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1月 6
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1月 3
鈴木清順の『夢二』を見る。不思議な意匠と構図そして画面の動きが作り出す鮮やかで夢幻的なイメージに酔う。
1月 3
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1月 1
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実の娘、シャルロット・ゲンズブールに「レモン・インセスト」を歌わせたときのセルジュ・ゲンズブールが50代後半だったということに気付いて少し驚く。いい歳して何をやっているんだ。
1月 1
12月 2011
12件の投稿
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12月 24
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スパイラルのクリスマス・ライブ。J.A.Mと菊地成孔の共演は意外にも初めてだったそうですが、華やかでスピード感のあるJ.A.Mの音楽と艶やかな菊地成孔のサックスの相性はとてもよかったです。セットリストのなかでは”Footprints”が際立っていい演奏でした。クリスマスらしい楽しいライブでした。
12月 24
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12月 17
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12月 17
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12月 17
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12月 17
日本のマイナーなアイドルの歌う楽曲ですらそれなりによくできていたりするのは、70年代にアメリカで量産されたバブルガム・ポップの水準が意外と高かったことを思い起こさせる。産業として制作側の人材の蓄積がなければなかなかこうはならない。
12月 13
中国思想の勉強会で老荘を学んでいるのだけど、もしかすると老荘ほど巷のイメージと実態の異なるものはないのではないかと。 老荘思想を生活倫理として読む人が多いけど、老荘では「人間」がタオのシステムに解消されてしまうと苛立つ人がもっといてもいいと思う。 勿論そのために儒教があるのだけど。そう言えばなぜ日本では朱子学や陽明学はいまいち人気がないのだろう。 老荘や心学と量子力学の解釈に類似を見る人は多いけど、そもそも量子力学の方が既存の認識論や存在論から強い影響を受けているようにも思える。
12月 13
『量子力学の哲学』を読んでいたのだけど、量子力学の分野で議論されている認識論や存在論は哲学の分野で行われているものより遥かにラディカルで驚かされる。 現在の確率は過去と「未来」の状態に依存するとか、人間はすべて連続で無限の集合的精神を持っているとか。どれもそれなりに説得力のある論理が展開されているのがおもしろい そう言えば、観測問題の説明で必ず出てくる「シュレーディンガーの猫」って論理的には面白いんだけど、どうも猫がかわいそうで、あの想像力の質は好きになれない。
12月 2
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12月 2
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