2月 2012
26件の投稿
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2月 25
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2月 25
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王菲(Faye Wong)は90年代に中国語の歌謡曲の唱法を変えたと言われるけど、初期の楽曲を聴いていると彼女の革新は欧米のポップスのカバーを通じて行われたのだという気がする。 日本の歌謡曲も欧米の音楽の影響で唱法が変わり新しい表現力を獲得してきた歴史があるわけだけど、王菲の凄さはそれに匹敵する革新を90年代ほぼ一人で牽引してきたことだと思う。
2月 25
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2月 18
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2月 18
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2月 18
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公正さ−何かをフェアだと感じる感覚には平等とか対等といった理念的な概念では説明できない生来的なものがあるのだと思う。 既得権を奪われる事に人が頑強に抵抗するのも、利得を越えて生来的に感じる公正さに反しているという感覚のためではないか。
2月 18
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2月 17
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2月 16
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2月 16
急逝したホイットニー・ヒューストンのアルバムを聞いていて思い出したのですが、1980年代後半は黒人の音楽に「黒さ」を要求する政治的な声が強くなり 始めた時期で、既にポジションを固めていたプリンスやマイケル・ジャクソンですら「黒さ」をめぐって迷走したほどでした。 この時期にデビューしたホイットニー・ヒューストンも、ファーストアルバムではゴスペル色の強い歌唱法を用いていたにも係わらず、セカンド以降では「白い」歌い方をするようになったことに当時非難の声があったことを記憶しています。 1980年代のセカンド、サードアルバムの頃までのホイットニー・ヒューストンのライブ音源を聞くとまだ意外なほど「黒い」歌を聞かせていて、彼女の歌唱法に対する抑圧はレコーディングのプロダクションによるものだったことが窺えます。 ...
2月 12
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2月 11
横浜美術館で松井冬子展を見てきました。日本画の伝統を踏まえながら極めて個人的な感情や強迫観念を形象化する構想力は面白いと思います。しかし、習作として描かれた小牛や人体の解剖の写生の素晴らしさとそれらを下絵に使った作品を比較して見ると、日本画のフォーマットや分析的な読解を誘う画面の設計が彼女の描きたいものを抑圧しているようにも感じました。
2月 11
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2月 11
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2月 11
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2月 11
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2月 11
現実が見えたとおりのものであるとするならば、人の行動は現在のみを参照して評価されることになります。そのような形で日常の感覚と行動との因果が現在の一点において結びつくと、人は知覚の制約によって構成された世界に閉ざされてしまう。超越的な視点を奪われた人は、現実と思っていたものが仮構であっても、現実の裏切りによってしかそれを認識することができないでしょう。 世界の複雑さと向かい合うものは、実践のなかでも現実との距離を維持しなければならない。
2月 3
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1月26日に六本木のSuperDeluxeでジム・オルーク(Jim O’Rourke)とオーレン・アンバーチ(Oren Ambarchi)の演奏を聴いて来ました。面白かったです。 オルークのラップトップとアンバーチのギターが生み出す微細な音のざわめきは海底に棲息する巨大な生物の気配を漂わせる。静寂のなかで聞き続けている自らの体内の音。海水が鰓を流れる。巨大な身体の周囲に纏わりつく小さな生物たち。ギターのフレーズをきっかけに身体をうねらせて重い海水のなかを移動すると激しくなる拍動、周囲との干渉。そしてまた落ち着きを取り戻す。そこに意識はなくただ感覚の集積だけがある。...
2月 2
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2月 1
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2月 1
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R.I.P. Mike Kelley
2月 1